追 記 市河晴子 穂積陳重 穂積歌子 市河三喜 穂積家とのお付合い
 穂積 陳重 (ほづみ のぶしげ)略歴

安政 2年(1855)宇和島藩の国学者穂積重樹の三男として生れる

明治 9年 (1876)櫻井錠二と共に英国留学、後ドイツに移り法学を修める

明治15年(1882)東京大学教授兼法学部長に就任。

明治26年(1893)富井政章、梅謙次郎とともに、民法・戸籍法などを編纂。  

東京帝国大学法科大学長に就任。

大正元年 (1912)大学退職

大正15年 (1926)4月7日逝去(72歳)

法学博士、貴族院議員、枢密院議長、帝国学士院長、男爵